先日、求職者と面談をした際に印象的な言葉がありました。
「失敗ができる環境を求めていて」
転職する際に最優先している条件がそれだと、彼は朗らかな顔で言いました。
その人は稲村ヶ崎に住む20代後半。朝に海に入り、そこから都内へ通い激務をこなし、また夜に稲村ヶ崎へ帰ってくる、という生活を続けています。一見大変そうに見えて、「成長に必要なので」と言い切る爽やかな眼に濁りがありません。
先を見据えて叶えたいライフワークがあるから、そのために必要な経験は自ら取りに行く必要があることを自覚していて、成長するために失敗は不可避だと捉えている。その「失敗を容認してくれる環境」を求めている、と。現職はその環境があり大きな自己成長につながった体験をしているので、次の転職先にもそれを求めている、ということです。
大手や老舗企業でよくある若手にチャンスがないケース。「経験を積んでから」と年功序列に苛まれ、過度に守られることで枠から出てチャレンジする機会がなく、結果的に一番成長できる大切な時期を逃してしまう。彼は転職でそういう企業を選んでしまうことを恐れて、前段のセリフを発したわけです。
「失敗できる環境やカルチャー」が転職の大切な条件になる時代が来ました。
今はAIに聞けば答えをくれるし、失敗自体をしにくい時代に突入しています。反面、体当たりで失敗した経験の後こそ反動で大きな飛躍につながる、この特別な経験も得にくくなっているのかもしれません。
それを理解しているからこそ、彼は「自分の成長に失敗は不可避」だと捉えているのです。
確かに、打席に立ってナンボですよね。
ベンチから試合を見ているのと実際打席に入って三振するのと、そりゃ経験値に違いが出ます。三振したら悔しいし、なぜ三振したのか考える。圧倒的に次に向かうプロセスが変わると思います。
例え打席を与えられても「三振するな!」というチームでは萎縮するし、目的が「三振しないこと」になってしまうから勝負にならない。そうではなくミスを容認してチャレンジを支えてくれるチームであれば、人はどんどん成長するのだと思いますし、有望な人はそういうチームに入りたいと思うはず。
学校でも仕事でも失敗をしないように教えられて、失敗が起きたら怒られて、結果的に失敗を恐れるようになってしまうケースがいかに多いか。何かを怖がりながら仕事をするのか、自分の「こうしたい!」をもとに仕事をするのか、その積み重ねで「受動的か/能動的か」その人の仕事のスタンスが大きく変わってしまう気がします。これは大きな分岐点で、どうせなら能動的に働く方がハッピーですよね。
「成長=貢献につながる」カルチャーがあるか、あれが優秀な若手に選ばれる会社の一つの要素になっているのは確かです。
そういう企業を一緒に探す。
それが湘南WorK.の役割だと実感した、そんな面談での出来事です。