今回のゲストは、ティーズ・ハウジング株式会社 代表取締役、そして国際NGOでもある一般社団法人「Surfrider Foundation Japan(サーフライダーファウンデーションジャパン)」代表理事の中川淳さんです。横浜生まれ、根っからのサーファーでもある中川さん。不動産業界に飛び込んだきっかけや、国際NGOに携わることになった理由、そして約30年間の企業経営を経て今、中川さんが思う「働く」とは? 中川さんの仕事観、人生観に迫ります。
地不動産業界からサーファーのライフスタイルを発信域で環境問題へのアクションをするために
もともと自分は飲食店をやりたかったんですよ。飲食畑だったし、湘南で小さくてもいいからお店を持ちたいなと思った時に、飲食店のお給料だと、シミュレーションして毎月貯金をしていっても「あと20年ぐらい先なのかなぁ、独立するまで」って。土日だとごはん食べる時間すら15分しかなくて、食べたらすぐキッチンに立つ、みたいな状況でしたし、これで40歳でやっと自分のお店を持てて、ちょっとサーフィンもできるようになったとしても、その時にはもういろいろ厳しいんじゃないかなと。なので、なるべく最短でお店を出せるように、湘南に住みながらいくつかの仕事を探したんです。その中で、まだバブルの最後の頃だったので、不動産業界の求人広告に「20代、入社2年目でベンツ乗りました。ロレックス買いました」みたいな記事が出ていて「こっちの方が手っ取り早そうだな」と(笑)。で、やってみたらわりと奥深いし、人間模様も面白いし、厳しかったり、いろんなこともあるけど、やんちゃな人も多くてバイブスが合っちゃったのかなぁ。気がつけば、飲食店はどちらかと言うと稼いで美味しいものを食べに行く場所だという感覚がなじんじゃって、自分でやるというイメージがどんどん薄れていったんです。その後独立して今の会社を始めてからも、飲食店をやっているお客さんに対しては、もともと自分も志した道だったので、接客にもいろいろバリエーションが持てましたよね。うちの会社を始めたのが1994年なので、再来年で創業30年になります。
ここまでブレずに来られた理由というのは、やはり海とか、そういうベースがあったからなんですか?
まあ、ほら、かっこいいなと思う人は、自分がいいなって思うものをビジネスにしているじゃないですか。ファッション界でも「着たい服がないから自分で考えたら売れちゃったんだよ」とかってビッグになる人いるじゃない。いちばんかっこいいなと。そこまでとは言わないけど、方向性としてはそれがいいなって。それで上手く行かなくても、後悔がないから。やりたくもないことをお金のために頑張って失敗したら後悔するだろうけど、これだ!と思ったことをやって失敗しても、どこかに勤めに行くことだってできるんだし。結果、大きな会社にはできなかったけど、細々と長くできたので、自分の中で、花丸は付かないけど、二重丸ぐらいは付けられるかなって。
実際30年携わってきて、この湘南のポテンシャルは良い感じに上がってきていると感じたりしますか?
そう思いますよ。実は「サーファーズハウス」というのも、「surfershouse.jp」というドメインを持って、サーファーらしい家づくりというのを提唱して、いろんな工務店さんとタイアップして、単に家の前に外シャワーがあるだけじゃなくて実際サーフィンするとこういう動線があった方がいいとかディスカッションしながら家を建てて、アーカイブをつくっていったんです。後に、『湘南スタイル』という雑誌をつくっているエイ出版さんから「サーファーズハウスみたいなものをパッケージで売りたい」というようなお話をいただき、ブランディングなどにも携わらせていただいて、不動産の仕事をいただいたり、意見交換したり。カリフォルニア工務店の企画もそこから生まれていったんですよね。
なるほど、礎ですね、まさに。
その背景づくりにも少し携われたのかなって。自分の人生の中ではとても幸せなことでしたね。でもやはり、「儲ける人の側に行けない」っていうのは常にあるんですけど(笑)。なんとか家族と従業員を養えているぐらいのところでずっと足踏み状態ですが、まあ長くやってこれたし、大きくする人とか、稼ぐ人とか、役割が違うんだろうなって。そういう人が少しでも僕のことを知っていてくれれば、それで満足かなって思います。
50歳の節目を機に、環境NGOを率いる
そんな中で、今回は「サーフライダーファウンデーションジャパン」も一つのテーマとしてお話を伺ってみたいところですね。
はい。不動産での長い営みがあっての「サーフライダーファウンデーション」なんですね?
そうですね。きっかけは2011年にこのエリアに移ってきて、なんの因果か、その時に東日本大震災が起きちゃった。それ以前から環境活動は大事にしていて、海の環境っていうものの素晴らしさがあって自分のビジネスがあるからってことで、もともとサーフライダーファウンデーションには定期的に寄付を届けていたんです。「ティーズ・ハウジング」という会社として。東日本大震災のチャリティーでも、サーフライダーファウンデーションというプラットフォームを使って、震災に遭われた方に寄付を届けることを継続してやっていたんですが、震災以降いろんな問題が複雑に絡み合って、サーフライダーファウンデーションも動きづらい時代になっちゃった。せっかく良い組織なのに、社会になじんでいかないっていう課題があって、その相談を受けるようになり、湘南に支部をつくってくれないかと理事の方に言われて「いいですよ」と。それでまずは支部を立ち上げて、後に「これは湘南にあった方が大きくなるよ」って。湘南はみんなサーフィンをしているから、そういう所に拠点を置いてみんなで海のことを考えようっていう組織にしていけば、大きくなるんじゃないかってことで、本部を湘南に持ってきました。それが2015年、私のちょうど50歳の誕生日の時。「とうとう50歳か」と思って、不動産の仕事の方はこうやって根強いファンの方に支えてもらって安定してきたので、50歳から何かもう一つやってみようと腹を括って、自分が代表をやるってことでスタートしたんです。
残したい景色のために、ハブに徹する
「この海の素晴らしさを伝えたい」という、ある意味、媒体的に不動産という「家」を通してそれを発信していたところから、逆にサーフライダーファウンデーションの方ではそれを還元するというか、どう今まで自分がやってきたことを海に戻していくかというか、少し動きが違うのかなという気がしたのですが。
組織の目的としては違うと思います。でも自分の中では一環して、不動産の仕事も、環境NGOの代表としての仕事も「ライフスタイル」というものが軸にある。生活があって、自然があって、という。やはり湘南の海岸線の美しさってすごいじゃないですか。おかげさまでサーフィンをやっている中でいろんな国の海を見てきて、その国その国素晴らしいですよ、カリフォルニアも、ハワイも、モルディブも、インドネシアの離島とかも。水がすごくきれいだし。だけど湘南のコーストラインの美しさは格別。冬なんか毎日のように富士山がオレンジ色に染まる景色が見られたり、相模湾のポテンシャルもすごいじゃないですか、生物多様性の面でも。もっと言うと、日本自体が奇跡的な位置にあるんだと思いますしね。そのランドスケープを守りたいというか、残していきたいという思いはずっとあるんですよ。その流れの中で、たまたま環境NGOの話が来た、ということだと思っています。自分的にはブレてもいないし、一貫性のあるものなんですよね。
目的は一つ、という印象なんですね。改めて、サーフライダーファウンデーションは、具体的にどんな活動をされているんですか?
国によって立ち位置が微妙に違うこともありますが、でも基本的には日本でもヨーロッパでもアメリカでも、いろんなロビー活動をしたり、市民の思いをちゃんと伝えること。民主主義国家であるならば、やはり「数」を持って伝えないと政治も動かないし、行政も変わっていかないし、国も良くなっていかない。
企業の経営をやってきたベースがあっての今の活動だからこそ、見えてくることってあるんですか?
それはありますね。小さな企業ですが、町も見れたし、人も見れたし。こんな小さな不動産屋ですが、けっこう著名な方、大きな会社の経営者の方だとか、有名なスポーツ選手や芸能人の方だとか、「湘南で家探しをしているんだ」ってわざわざうちに来てくださるんですよ。それはサーフィンや海という点でつながってはいるんですが、全く面識のないすごい方がしょっちゅううちに来てくれる。そういう人たちとの関わりを通じて、会社は小さいけれど、社会を広く見れたのかもしれない。やはりそういう方々とつながったり、取り引きさせていただいたり、後に友人になったりすると、確実に視野が広がりますよね。それは実はものすごく影響があったのかもしれない。言われて気がついたことですが。
なかなかそういう方っていないですよね、中川さんみたいな形で、企業経営してから環境NGOの組織を率いるようになった方。僕の周りにはあまりいないです。
確かにそうかもしれないですね。存在としてすごく橋渡しをされている印象があります。
自分でやれることがあんまりないから、橋渡しには徹してますよね、どちらかというと。私は英語は全然なので、どこかにいく時も絶対、英語を話せる人と一緒に行かないと。挨拶ぐらいはできますけど、けっこう難しい話もするので、こんなことを言ってるんだろうなと適当に返事をすると大変なことになりますから。通訳をしてくれる人の中でも、我々の活動を理解してくれて応援してくれる人を探さないといけませんしね。結局やはり人と人とのつながりで、自分がハブになっていろんな人たちが交わっていったり、つながっていったり、みたいな立ち位置がわりと自分の属性なのかなと最初から思っています。
あとはこういう環境活動は若い人が前に立ってやっていくものだと思っているので、私がこうやってメディアに出てしゃべっちゃいけないのかなって。やはり未来の活動なので、年を重ねた人間が出るよりも、若い人が出た方がいい。キラキラ輝きながら、自分たちの未来をつくっていくぞっていう、本来はそういうところを支えてあげたり、応援してあげたりするのが大人の役割ですよね。
まさに年代間、国際間…「間」にいらっしゃるんですね。ハブになっていらっしゃるんですね。
自分ができないから、逆に言うと、自分の役割が明確になる。自分なんかがこういう流れの中にいて…という気持ちではいつもいるので。
「働く」は「喜び」。若い人の役に立ち、死ぬ寸前まで仕事をしていたい
もう30年以上地道に活動されている中川さんだからこそ、今思う「働く」ってどういうことですか?
「喜び」じゃないですか、やっぱり。「働く」って。本当言うと「早めにリタイアしたいな」っていう気持ちがあったんですよ。リタイアかっこいいな、みたいな(笑)。実は私、キャンピングカーを買ったんですけど、こないだ1週間ぐらい北海道のフェスに行って、前後少し北海道見て回ったりした。リタイアしたら、旅三昧したり、ずっとこういう生活が続くんだろうとイメージしてた。でも飽きるし、やはり1週間のうち仕事をしない時間は2日間ぐらいが適正だなって思うし、気づいたらパソコンを開いて新しい仕事をし始めたりしてるし。だからやっぱり仕事がないっていうのは淋しいことだと思うし、仕事があるというのは喜びだと思う。ただ気をつけないと、あんまり一生懸命仕事しすぎると老眼になっちゃうので(笑)。
謙虚さを身に付けていって、ソーシャルビジネスというか、若い人たちのお役に立てるように、未来のお役に立てるように、そういうふうにやっていくのは大事だと思います。それで若い人たちが「中川さん、こんなこと振ってくれてありがとう」って言ってくれるのはうれしいし、彼らが育っていくのを見るのも喜び。だから「働く」っていうのは、やはり「喜び」でしかないですよね。もちろん辛いこともあるし、裏切られたり、悪口を言われたり、がっかりすることも多々ありますけど、でも基本的にはそれも含めて「喜び」なんじゃないですか。しがみつきたくはないけど、失いたくはないですよね、仕事って、死ぬまで。死ぬ寸前まで仕事をしていたいなって思います。迷惑にならないように、役に立てるように。
& Column
多世代がフラットに関わり合う世界で発揮する力
「キャリアアップ」をイメージする時、例えば何かの点数や、名刺に書けるような資格、どこの企業を渡り歩いてきたか、いくつの事業を立ち上げたか、などということを思い浮かべることもあるでしょう。ところが、人はそういうものには付いてこない。人を率いる立場に立てばすぐに分かることです。中川さんは約30年という経営者の経験を持ちながら、年を追うごとに身に付けるべき大切なものの一つとして「謙虚さ」を挙げています。そして、いかに若い人の役に立てるかが重要だと。これからの時代、社会や企業の中の多くの場面において、よりフラットな立ち位置で人々が関わり合い、一緒に何かを生み出す機会はますます増えます。その時、キャリアや年齢を重ねた者であればあるほど、「真の知恵や徳」を蓄え、自らの立ち位置をフラットよりも少し下に置いて、若い世代を自由に活躍させることができるかどうか、懐の深さ、人間としての成熟度がますます問われるのかもしれません。
(森田マイコ)
今回のゲスト
中川淳(なかがわあつし)さん
1965年横浜生まれ。不動産会社「ティーズ・ハウジング」の代表取締役を務めながら、2015年、 「サーフライダーファウンデーション・ジャパン」の代表理事に就任。以後、サーファー目線から、 草の根的な海の環境保全活動を推進している。
Webサイト▶ 一般社団法人サーフライダーファウンデーションジャパン
https://www.surfrider.jp/