今回のゲストは、株式会社はじまり商店街の代表取締役の柴田大輔さんです。都内で会社員として働いていた生活から一変、6年前に鎌倉に移住した柴田さん。その間に着実に経験を積み、2018年に会社(共同代表:クマガイケンスケさん)を設立。現在は鎌倉を拠点としながらも、コミュニティビルダーとして、東京はもちろん全国各地に活躍の場を広げています。そんな柴田さんに、今見えているものとは?
はじまりを始める会社
「はじまり商店街」とはどんなものか、というのをご紹介いただけますか?
よく聞かれるのは「はじまり商店街ってどこにあるんですか?」と。ないんですよ。中央線のどこかとかにありそうじゃないですか。
そこの商店会長さんとかではないんですよね?(笑)
違うんですよ、商店会長ではないんですね。一応、会社になっております。なかなか始めたいことが始まらないご時世じゃないですか。「はじまりを始める」というのが僕らのテーマなんです。その「はじまり」を屋号に入れつつ、ラフにいろんな人が回遊するような場所のイメージは「商店街」だね、ということで「はじまり商店街」が誕生したんです。
日々やっていることは、イベント開催や、その場所にお邪魔して、いわゆる「賑わいづくり」をすること。多いのは企業や自治体などから「コミュニティをつくってください」という要請をいただいて、コミュニティ支援をしている会社です。
なるほど。
転職するよりも先に暮らしを立て直そうと無職で鎌倉へ
はじまり商店街が始まる前の柴田さんについてお伺いしたいんですが、ご出身はどちらなんですか?
秋田です。
えー! 私、岩手です。盛岡。
良いところですよね。僕は秋田市です。
東北人だー!
18才まで秋田にいて、仙台で大学時代を過ごして、就活しようと思ったんですけど向いてなかったんでやめて、専門学校に行ってインテリアを勉強して、その後に東京でサラリーマンになるんですけど、また向いてなかったんで、鎌倉に引っ越してきたのが26才ですね。会社を辞める前に鎌倉には何度か来ていて、ちょっとはまったので。
でも別に何かしたかったわけではないんですよ。ふつうは転職するじゃないですか。でも僕は、転職するよりも先に暮らしを立て直そうと思って、鎌倉へ無職で来たんです。
会社を辞めて、転職せずに、とにかく鎌倉へ…。
町へ飲みに行ったら仕事が決まった
鎌倉で最初、何してたんですか?
良い質問ですね。
だって、生きていかなきゃいけない。
そうですね、最初の1ヵ月はハイキングしてましたね。
(笑)
最初の1週間は海に、由比ガ浜にいたんですよ。それで、数日過ごして海から逆を向いてみると、山が広がっているわけです。そうすると「おお!あっちも行ってみるか」ということで、次の1週間で全部の山を行きました。それで2週間経ちましたね…そろそろです。
そろそろですよね!(笑)
それで飲みに行きました。
海は行ったし、山も行ったし、次は町だと(笑)
そう、次は町のことを知ろうと思って。そこで知り合いができて、ゴールデンウィーク明けぐらいに仕事が決まり始めました。「鎌倉美学」というカフェに行ったら、スタッフやらない?って言われて。当時、仕事をしていないので断る理由が1つもなく、飲食業はやったことがなかったんですけど、やってみたんです。
で、同時期に「ippome(いっぽめ)」というWebの会社も人を募集していたので行ってみた。そしたら働くことになった。だから引っ越して2ヶ月くらいで、複業がいくつか決まった感じですね。
すごいなぁ!(笑)
シェアハウス、ゲストハウスの運営を経て
そこから僕のまた「向いてない発言」が始まるわけです。Webをやったんですけど、やっぱり向いてなかったですね。
Webって、自分でプログラムを書いたり?
そうですね、あとデザインしたり。座っている業務じゃないですか。座っていられないんですよね。
一緒だ(笑)
2年目からシェアハウスのマネージャーをやらせてもらって、その流れで3年目にゲストハウスをやったりして、いわゆる「コミュニティビルダー」になる前身の仕事を鎌倉でやっていたんですよ。それで2年経ってどうするかなと思った時に、引っ越して、見えていた仕事はなんとなくできちゃって、僕の中での経験値が全然深まっていない感じがしたんです。それが28才くらいで、これはまずいと思って。
その時ちょうど、YADOKARIさんの「BETTARA STAND 日本橋」が「コミュニティビルダー」というのを募集していたので、行ってみたんです。街の賑わいづくりの拠点としてOPENした場所でした。最初は飲食も担当してやっていました。
お客さんが来て、ごはんを食べて、「ありがとう」「さようなら」の関係なんですけど、いわゆる「コミュニティビルダー」はやっていなかったということです。つながりが全然できないんですよ。そこで次の月からイベントを始めて、気づいたら1年間で200本ちょっとやってましたね。
移住する前にやっておくべきこと
もともとサラリーマン時代にそういうことをやっていたんですか?
いえ、皆無です。
そういう意味では、フリーになった時に、今までの経験とは全く違うことを突如として始めたわけじゃないですか。そこのハードルってなかったんですか?
ハードルよりも、その方がストレスが少なかったですね。
へぇー!
働く時間を少なく選べる、というのが、僕にとっては最大の魅力だったんです。
イベント自体は鎌倉でもされていましたよね?
たくさんやりましたね。
どうですか? 鎌倉の外の出来事をたくさんつくっていらっしゃると思うんですけど、鎌倉に帰ってくるとどういうふうに感じているんですか?
風がいいですよね。僕は全然サーファーでもないので海は眺めるだけなんですけど。東京に暮らしていた時はピンときてなかったし、空が狭いですよね。だから鎌倉に帰ってきて、毎朝午前中はだいたい鎌倉にいるんですけど、やっぱり空が広いしいいなと思っていますけどね。
鎌倉文化の名残か分からないけれど、少し排他的なところもなきにしもあらずで、そこにズバッと入ったじゃないですか。
ヌルッと、という感じですかね(笑)
そこのコツは?
まぁ、飲みに行くってことですかね。
それ、結構ポイントという気がします。鎌倉は特に、巷にキーパーソンがたくさんいるじゃないですか。
いますねー。
そういう点では、飲みに行くことでいろいろなつながりができますよね。
僕、「移住したい」って言う人によく言うんですけど、事前に何回か来たほうがいいですね。いきなり引っ越してこないほうがいいです。道も知らないですもん。まずは行きつけの飲み屋を、飲めない人は行きつけのカフェを見つけるのがいいのかなと思います。
柴田さんにとって、鎌倉はニュートラルに戻れる場所なんですね。空が広くて、海もあって、山もあって、ちゃんと一回自分に戻って過ごせる。
そうですね、鎌倉はそういう場所ですね。この町の人はオープンだなと思います、他の町に比べて圧倒的に。やはりそれは感じていますね。
名刺で話さないという感じですね。
そうそう、コーポレート・トークをしてこない。
コミュニティビルダーが解決しているもの
「コミュニティ」って、目に見えないじゃないですか。どうやって可視化というか、コミュニティビルダーとしてのお仕事につなげていくんですか?
良い質問ですね。そうなんです、コミュニティは見えないんです。夢なんです。たぶん結果じゃないですか?コミュニティって。その過程の方が大事だと思っているんです。だから「コミュニティって何ですか?」と聞かれるとすごく困るんですけど、結果であって、今ではないですよ、という話はよくしていますけどね。
イベントをこれだけ継続している理由は、やはり継続してやることで価値になっていくと思っているので、ずっと投資をしているイメージですね。未来の場づくりや、コトづくりのために。そうすると仲間も増えてくる。それが大きいかもしれないですね。
コミュニティをつくるとか、イベントをやることで、実はこれを解決しているんだよ、ということはあったりするんですか?
「孤独」じゃないですか。
答えが早かったよ、今。
つながったね、今。何が豊かさなのかをどう考えるかは最近のみんなのテーマだけど、その豊かさの定義において、人とのつながりや、ふれあいに重きを置いている人が多くなっていますよね。
そうですよね。でもそれを、できるだけ他人に依存するんじゃなくて自分で語れるようになるというのが大事で、結局、思考を続けないといけないですね、と思っています。
*収録・撮影:Hostel YUIGAHAMA + SOBA BAR
(協力:株式会社エンジョイワークス)
今回のゲスト
柴田大輔(しばただいすけ)さん
株式会社はじまり商店街 共同代表/コミュニティビルダー
秋田県秋田市出身。幼少の頃から、家族・学校・社会のコミュニティに疑問を抱く。 鎌倉を拠点にシェアハウスやゲストハウスの運営を経験。 他にもカフェ・バル・家具屋に関わりながら、町のコミュニティづくりに携わってきた。2017年4月、BETTARA STAND日本橋のコミュニティビルダーになり、映画上映・まちづくり・地域と連携した飲食のイベントなど年間200本以上の運営・企画を行う。2018年8月から、はじまり商店街の共同代表。賑わいづくりのための多様なイベントの企画・運営やコミュニティ支援を行っている。