ラジオ収録 前半
ラジオ収録 後半
今回のゲストは、茅ヶ崎市在住の彫刻家 重岡晋(しげおかしん)さんです。東京藝術大学大学院修了後、美術、空間演出、広告などのイベントマーケティングに従事されたのち、芸術と政治経済が共創する世界を目指し、松下政経塾へ入塾。2021年からは茅ヶ崎市を拠点に、SHIN SHIGEOKA STUDIOを設立し、彫刻に留まらず空間造形、プロダクトデザイン、企業研修など「芸術 × ヒトモノコト」に関わる幅広い分野で活動されています。そんな重岡さんの『はたらくカタチ』とは?
高校の友人に誘われて開いた道
彫刻家って、どういう人のことなんですか?
そうですね、例えば「アート」というと、絵を描いたり、音楽をやったり、いろんなイメージがあると思うんですが、その中でも特に「立体造形」を表現のメディアとして扱って活動している芸術家のことを「彫刻家」と呼ぶのかなと思います。
藝大ご出身なんですよね?
東京藝術大学に、トータルで6年間行っていました。
入ったきっかけは何だったんですか?
芸術の道をやりたいとちゃんと思ったのは高校2年生くらいですね。当時、僕は横須賀の高校に行っていたんですが、大船に湘南芸術学院という美術の予備校があって、そこに通っている同じ学年の仲の良い友達がいて、「興味があれば夏期講習に一緒に行ってみないか?」みたいな感じで誘われて行ったんです。そこではいろんなことを体験できるんですが、その中で僕がいちばん面白かったのが立体造形の体験でした。予備校にも「彫刻科」という専攻があって、先生にも「君は彫刻だね」と話をされて。
その一言で道が見えてきたような感覚があったんですね?
そうですね、小さい頃からなんとなく好きでやっていたことだったのを、また思い出したみたいな感覚だと思います。まぁでも僕が特別というよりは、みんな子どもの頃は何かつくるのが好きじゃないですか。僕もそのうちの一人で、そういう道をたまたま選んだという感じだと思います。
僕は、生まれは山口県の萩市、明治維新の中心になったまちの一つで、そこから東京にいた時期もありますし、和歌山にいたこともあります。その後、神奈川県に移って、横浜に来たのが小学校2年生くらい。そこからずっと神奈川。浪人したので、予備校に通いながらそのまま鎌倉に1年住むという感じで。
鎌倉にもご縁がありますね。海派ですか? 山派ですか?
海ですね。
転々とされている土地もけっこう海側ですもんね(笑)
日常とクリエイションはひとつ
海にちなんだ所にご縁がある感じですよね。つくられている作品にもそれが反映しているのかもしれないですね。
今日は作品をお持ちいただいているんですよね。こちらは何ですか?
まずアクセサリーの方からお話ししますと、昨年茅ヶ崎市で「ArtOpus.(アート・オーパス)SHONAN」というアクセサリーブランドを立ち上げました。陶磁器をベースにしたアクセサリーで、デザインをして自分でつくって、主に湘南エリアのイベントや常設展で販売しています。
こちらは彫刻で、「海の女神」という名前を付けました。日々湘南という場所で生活する中で、特に海に行っている時や散歩をしている時にインスピレーションをもらう瞬間があります。「あっ、こういうものがあったらいいな」みたいな着想を持ち帰って形にする。この「海の女神」という作品は、辻堂の海岸からサザンビーチの方まで自転車で走っている時に、風を受けている鳥とか、人とか、何かそういう「心地よくいる海辺の風景」が目に入ってきて、何かこういうものがあったらこの場所がもっと素敵になるかもと思う体験をして、帰宅してすぐにつくったんです。僕は自分の日常生活とクリエイションを切り離したくないんですね。日常生活で感じた所から生まれているのが自然な形かなと思って。湘南という地域から僕はほぼ出ないんですが、そこで見たもの、触れたもの、人と話して気づいたこととか、そんなことから全部デザインしている感じです。
社会の側から芸術を客観視できた松下政経塾
触れたものということで言うと、重岡さんのキャリアの中で面白いな、と思ったのは…
松下政経塾のご出身なんですよね?
そうですね(笑)
これまた全然違う側面ですね!
初めてなんですよね、松下政経塾出身で東京藝術大学OBの方って。
そうです。
改めてですが、松下政経塾がどういったものなのか教えていただけますか?
松下政経塾は今、茅ヶ崎市の潮見台という所にあり、各界のリーダーを輩出する公益財団法人ということで、教育機関に近い団体です。創設者がパナソニックの創業者である松下幸之助さんで、晩年に私財を投じてつくった人材育成機関です。僕は藝大に大学院までいて、その後少しフリーランスで活動していたんですが、その時に自分のこれまでのやってきたキャリアの中で学ばなかったことがあると気づいて。それが「ビジネス」だったんです。芸術大学でビジネスを教えることは無いですから、僕はそこが全く無知のまま社会に出た。曲がりなりにもお仕事をさせていただく機会もあったんですが、やはり自分なりの視点が足りないというのを日々感じていましたし、芸術だけやっていると“井の中の蛙”感があるんですよね。ビジネスが先に立つのか、アートが先に立つのか、みたいなところで僕は悶々としていたのかもしれない。
それでアートの世界から出て、広告の世界に入ってみたものの、広告の世界も井の中の蛙だなって感じ始めたんです。世界にはもっと大きな枠組み、例えば「地域」とか「行政」とか「政策」とか「海外との連携」などがある中で、根本的にもっと大きいスケールや視点で芸術の意義を考えたいと思うようになりました。「芸術とかクリエイティブ畑にいた人間が政治・経済の世界か…いや、意外とあるかもしれないな!」と思って(笑)、そういう発想が起点。たまたま知り合いに松下政経塾で教えている方がいらっしゃったんですよ。その方のご紹介で見学させていただいて、入塾しました。
ビジネス×アートをエンジンに
何をテーマにするか、みなさん選ばれるじゃないですか。何になさったんですか?
僕の場合は最初から、自分がやってきた芸術というものの、社会における意義とか可能性を研究・追求するということでしたね。例えば、地域と芸術ということで、どういう連携をしながら価値をつくれるかというテーマでいろいろな所を見て回ったり、あるいはそもそも日本の文化政策がどうなっているのかという視点や海外との比較とか、文化外交や文化交流と言われる分野ですね。ここを主な自分の研究テーマ・対象として活動していました。
そのテーマで研究をしていった中で、何が見えてきたんですか?
やはり一つは、自分がプレイヤーとしてやっていた芸術活動を、どちらかというと仕組みとかマネージャーの視点から見るということが立場上の大きな違いでした。あとは、僕は松下政経塾時代に2回ほどフランスに渡航して現地の方や外務省の現地の文化担当の方とお話をしたりして、両国で比較した時の芸術の位置付けがけっこう違うことに気づいたんです。例えば文化予算でも10倍くらい違ったり。地域でアーティストを育てるという感覚もかなり違っていて、比較論が全てではないですが、日本でまだまだできることがあるんだなと客観的に気づけたりして。「芸術に対する客観性」ですね。これは松下政経塾に行かなければ得られなかった感じはありますね。
その芸術に対する客観性が生まれて、文化の成熟度が違うことが分かって、日本に帰国して、じゃあこの土地でアートというものをどう社会に貢献させていくか、還元していくかと考えた時に、今見えてきている「これがいいんじゃないか?」というアプローチって、重岡さんの中で何か手立てはあるんですか?
企業・ビジネスと一緒に組んで、そこをエンジンにして変えていくという考え方です。最初は企業研修などをやっていて、ベンチャー企業と一緒に新商品開発などをしていました。やはり技術畑の人が気にする所とアーティストの視点は違うので、一緒に対話しながら一つのプロダクトをつくる試みをしたり。プロセスが9割だと僕は思っているんです。そこにクリエイションすることの本質があるし、企業も価値を常に作り出しているので、共感できる部分があると僕は思っていて。ただ視点や何をポイントにするかが少し違うので、そこを一緒に対話しながらやる方が非常に効果があるんじゃないかと考え、それを地としてやっていた感じです。
フィールドは違えど、ものづくりの繊細さや本質って、けっこう共通点があるのかもしれませんね。
そうだと思います。アウトプットの形は違うけれど、言いたいことは結局同じってことがけっこうあるじゃないですか。
あるある。
それは両方の視点を持っている重岡さんだからこそ感じ取れることかもしれないですね。
「働く」とは、人生を豊かにしていく活動
日常にアートがあることの素晴らしさって、どういう所に感じていらっしゃるんですか?
自分にとってアートは人生を豊かにしてくれたものの一つだと思っているので、彫刻もアクセサリーもライフスタイルの一つの提案だと考えているんですね。それこそ鎌倉時代はとても文化度が高くて、そういう工芸品が常に生活の中にあった。日本は建築物自体が芸術作品で、総合芸術というものが非常に優れた国だというのが僕の中での一つの結論。だから何か特別なことをやっているとは思っていなくて、生活の中にアートを入れていくことは、何か昔に戻るような感覚だと思っています。そういう意味ではライフスタイルにどんなふうにアートを入れていけるのか、みたいなことを考えているのかもしれないですね。
あえて茅ヶ崎市という場所を拠点にしたきっかけや理由はあるんでしょうか?
やはり子育て環境としても抜群に良いですし、海も歩いてける距離にあり、住んでいる人も新しく来た人に対してとてもオープンでフレンドリー。「1年365日ここにいたい」って思える場所って、けっこう貴重だと思うんですが、僕は今そう思っているんですよ。非日常を求めにいくんじゃなくて、日常を豊かにしていける場所、そこで文化をつくるうちの一人、みたいな感じで何かできることがあったらうれしいなと思います。だからもう圧倒的に「日常」ですよね。そこがインスピレーションの源泉になっています。
それこそホテル貸し切って3日間でドカーンと演出、みたいな仕事もあったんですよ。でもそういう刺激ではないんです。何かもっと身近で、いつでもあるみたいなことの中に、僕は本質というか、いいなと思うことがあるし、それを拾えるかどうかというのは感性の問題だと思いますね。それが見つけやすいのかもしれない、湘南エリアという場所は。
重岡さんにとって「働く」ってどういうことでしょう?
切り離していないですよね、僕の場合は「仕事をする」とか「家庭がある」とか「どなたかとお会いする」ということが、全部生活の一つとして空間をあまり切り離していないです。気持ちとしてもあまりその隔たりはなくて、トータルで見た時に「人生を豊かにしていく活動」だと思っています。それは自分も他者も。それが「働く」ことの意味なのかなと思いました。
& Column
社会と共同創造する生き方
重岡さんの活動は、子どもの頃から好きだった「手で物をつくる」の延長上にある彫刻やプロダクトの制作という、内から外へ向かうエネルギーと、松下政経塾で手に入れた「社会の側から芸術の意義を見る」という、外から内へ向かうエネルギーとが重なる所にあるように思います。重なった部分こそ自分も人も喜び合える「共同創造」であり、いまの言葉で言えば自身の「パーパス(存在意義)」を実践する生き方とも呼べそうです。私は自分の「好き」を用いて、社会と何を共同創造するのか? 主体性が重視される昨今ですが、それは個人主義とは異なるもの。主体の周りに広がる社会と喜びを分かち合えた時、心は真の豊かさを感じられるのではないでしょうか。
(森田マイコ)
今回のゲスト
重岡晋(しげおかしん)さん
彫刻家 / SHIN SHIGEOKA STUDIO 代表
1988年山口県萩市生まれ。東京藝術大学大学院美術研究課程彫刻専攻修了(MFA)。平成26年度 東京藝術大学卒業制作買上賞(首席賞)を受賞。東京藝術大学大学美術館永久所蔵。美術家、空間演出家として活動の後、広告会社にてイベントマーケティングに従事。藝術と政治、経済、教育、地域が共創する世界を目指し、松下政経塾第38期生として入塾(東京藝術大学出身者は歴代初)。「総合藝術国家~藝術を生かした経営の在り方~ 」を活動テーマとしてARTを活用した企業研修、新商品開発支援、新規事業開発支援、ビジョン策定支援等を行う。2021年茅ヶ崎市にてSHIN SHIGEOKA STUDIOを設立。美術作品の製作から始まり、アクセサリーブランドプロデュース、企画、企業研修など「藝術 × ヒトモノコト」に関わる分野で活動を行う。
Webサイト▶ http://shinshigeoka.jp/
アクセサリーブランド「Art Opus.」 https://artopusx.wixsite.com/website