今回はスペシャル対談。ゲストは、ドキュメンタリー映画監督の大島新さんと、農地所有適格法人 株式会社鎌倉リーフ代表取締役の田村慎平さんです。2020年6月に公開された映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』を筆頭に、数々のドキュメンタリー番組や映画を撮り続けてきた大島さんと、新宿ゴールデン街の飲み屋のマスターを経て鎌倉で農業法人を営む田村さんの意外な接点、そしてご自身を含め、多様な人生を見つめてきたお二人にとっての「働く」とは?
浪人時代に出会い、一緒にドキュメンタリー作品を制作
まさか、大島さんにご出演いただけるとは!という感じなんですが、 田村さんと大島さんは昔からのお知り合いなんですか?
何でも知ってる(笑)。もう10代の後半からずーっと近くにいたような気がする。
もう30年以上になりますねぇ。
改めて、まずは自己紹介をお願いします。
鎌倉で、鎌倉野菜をつくっています、農家の田村慎平です。株式会社鎌倉リーフ、農地所有的核法人で農業をやっています。
今日は、鎌倉リーフさんが経営する「かん太村」という施設、直売所やイートインスペースがあり、野菜やお弁当を買ってその場で食べることもできるという空間からお届けします。では、続きまして大島さん、よろしくお願いします。
はい。私は大学を卒業してからずっとドキュメンタリーの制作をしており、TVとドキュメンタリー映画の二本柱で活動しています。田村慎平さんは、私のデビュー作のドキュメンタリー作品にも関わってくれていて、撮影を担当したり、私のアシスタントもしてくれたりという仲で、今日はとても懐かしく感じています。
最初はお二人の関係を伺っていきたいと思います。デビュー作の制作に携わったということですが、そもそもどんな関係性から一緒に作品を撮り始めたんですか?
元々、大島さんは僕の地元の先輩なんですよ。お互い浪人をしていたんですが…
浪人にも落ちこぼれがいて、予備校に通えない浪人生というのがいるんです。大船にある鎌倉青少年会館という所に、そういう落ちこぼれた浪人生が集まってくる。私はかなりの落ちこぼれで2浪、彼が1浪で。そこでよく顔を合わせて話していくうちに、すごく気が合って。
若かりし頃、新さんの家にみんなで集まって、「俺は世の中を変えるんだ!」とか「俺はこんな表現をする!」みたいなことを言い合いながら酒を飲んでいたわけです。その時に新さんが「ドキュメンタリーを撮りたい」と言っていて、で、フジテレビに入社して数ヶ月の頃じゃないかな?
そうだね。
僕はその時に歌舞伎町のカラオケボックスの店長をやっていたんです。もうダメダメ人間で、ごはんが食べれなくて。一応、報道カメラマン志望だったんだけど。
スチールのカメラマン志望だったんだよね。
そう。でも弟子入りしちゃったら食えないから、歌舞伎町のど真ん中のカラオケボックスの店長をやって、しのいでいたんです。そこで流されそうになっていた時に、ある日突然、新さんがカメラを買ってきて、「実は太田章というレスリングの選手のドキュメンタリーを撮りたい」って。で、撮ってくれって言われて、昼間仕事をしていると良くないのでカラオケ屋の仕事を辞めて、まあ若いし、別にお金なんか要らないし、そっちの方が面白そうだからとカメラを回すことになった。でもスチールのカメラと、ドキュメンタリーのカメラはまた違うものだから、新さんに「どうすりゃいいんですか?」って聞いたら「ボタンを30秒ぐらいONにして消せばいいんだよ」みたいに言われて。そんなんでいいのかなと思いながら(笑)
私もまだテレビ局1年生のペーペーだったので、全然よく分かっていなかった(笑)
その時の勢いというか、できないと思っていないというか。「俺は俺の歌を歌ってるぜ!」って、よく酔っ払って言っていたけど。
恥ずかしいな(笑)
その突破する力と、最後までやり切る力と。まあ今見たら、新さんは経験も積んでるし、テクニカル的には甘い所ばかり目につくかもしれないけど、でも最後まで番組にしたというのは普通の人にはできないよ、精神的にも。
私もそういう意味で言うと、組織をはみ出すような所が当時からあったので、だから4年半ぐらいでフジテレビを辞めちゃうんですけど。若い頃、ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんからすごく影響を受けて、要するに「人の営みや人生から何かを学ぶ」ということがすごく好きだったんです。直近の『なぜ君は総理大臣になれないのか』という映画もそうですが、見た人が行動変容につながっていく…例えば選挙に行こうとか、政治家の勉強会に行くようになったという報告をいただいたりとか、そんなことがあったりするんです。自分がつくった作品が何か人の心を動かして、人々の行動変容につながるというのが、かなりうれしい達成感のある仕事だという気がしています。
直接表現と間接表現で分かれた道
30代の中盤くらいだったかな、お互いに。そのまま一緒にドキュメンタリーやっていこうかという話をしたこともあった。だけど慎平は農業や食の方へ行くんだって話をしていて。これは慎平らしいなと思ったんですよ。それはなぜかと言うと、ドキュメンタリーもあくまで「間接表現」であって、それは被写体というか、既にそこに何かがあって初めて、我々の仕事が生まれる。もちろんそこに何がしかの意味はあるけれど、間接表現ですよね。だけど、例えば食や農業は「直接表現」なんです。自分がつくったものを食べた人が「おいしい」と言うのが、まどろっこしくなくて良いと慎平はよく言っていて。
なるほど。
だから「ああ、これは慎平らしいな」と思いましたね。本当にこれからの時代にも合ってるなとも思いました。もちろん苦労はたくさんあるだろうけど。
やっていて本当に嫌じゃないし、今ふり返って、何の仕事が向いてたんだろうな、いろんなことやって来たけど…って考えると、やっぱり農業がいちばん楽しかったし、人に褒められた(笑)。あのままカメラマンをやっていたらどうなってたのかなって。
そんな中で田村さんを突き動かしたのが、食であり、農だったわけですが、自分が「そっちに行くんだ!」と思った原動力は何だったんですか?
これ、よく聞かれるんだけど、成り行きなんですよ。成り行きというか、仕事観の問題として、これが仕事だって思ったこと一度もなくて。みんな就職活動しなくちゃとか、結婚して子どもつくるためには貯蓄しなくちゃって考えるらしいんだけど、本当に僕は1ミリも思ったことがない。かと言って、フリーターになろうと思っているわけでもない。何だろうね、働こうと思っていたわけではなくて、ただ、「何かしら自分を表現したい」という思いがあって、農業に関してもたまたま縁があったからやってみて、器用貧乏な所もあるから何でも面白がっちゃうんだけど、関わってみたらやっぱり新鮮だった。
新さんと一緒にドキュメンタリーを撮っていて、「間接表現」と先ほどおっしゃっていましたけど、実際にそういう所で悩んでもいましたし、ディレクターの才能としても、やはり新さんはすごいので、目の前にどう考えても越えられない存在がいる中で、「俺はただカメラを回し続けるだけなのかな」って思っていた時に、ひょんな所で農業に携わったら、農業自体がものすごい表現だなと思えた。
かん太村みたいな所をやっていると、小学校がしょっちゅう「社会科見学させてください」とか、障がいを持った子どもたちが集まって来たりとか、この地域も住宅街で高齢者の方が多いんですが、民生委員が「何か農業を使っておじいちゃんおばあちゃんを勇気づけて認知症防止になりませんか」と相談に来たり、農業を起点にいろんなことがどんどん派生していって、それを僕なりにコントロールして表現できるというのはものすごい贅沢だなと思ったんだけど、どれ一つとってもお金にならない(笑)。なので参ったなという部分もありまますが、金銭的なことを抜きにしても、これは「表現」としては面白いなと。だから新さんと一緒にドキュメンタリーをやっていたカメラマン時代と今と、本質的には何ら変わらないんです。
エッセンシャルワーカーである農家をコミュニティで支える仕組み
「農業の仕事って本当に大変ですよね」とよく言われるんですよ。確かに大変な部分もあって、それは暑い中で働くとか、そういうこともあるんだけど、僕にとってはそういう質問をしてくるみなさんの方が大変だし、ドキュメンタリーをつくる方がはるかに大変。今は大変なのは金銭的なことだけで、暑いとか寒いとか、仕事の環境とかは全然問題ない。
才能は、なかったですよ。やっぱり新さんみたく、先を見つめて客観視して、人に見てもらうということを突き詰められない人間が、ああいうドキュメンタリーというジャンルに、たまたま新さんがご縁をくれたから入れてもらえただけで、ディレクターの仕事は僕にとっては「いやぁ、厳しいな」と思いました。カメラマンはディレクターの意図を汲んでカメラを回すだけで、そこに責任は無いですから。
だから慎平は現場には強いと思う。そういう意味で言うとね。ただ、取材と編集以降の部分で、今度は表現者にならないといけないので、その部分は確かにね(笑)
そうそう。やっぱりね、本一冊書けない奴はドキュメンタリーのディレクターはやっちゃダメだ。俺には無理。だから写真をやってたんだもん。瞬発力と運動神経で何とかなるから。
農業も、生産するという意味では「瞬発力」?
農業に関しては、どちらかというと「持久力」でしょうね。新さんも僕も、共通点としてずっと続ける持久力がある気がします。だから決めたことは最後までとりあえずやり切る。逃げずにやり切る。それが良いか悪いかは別として。だから毎日同じことを淡々と黙々とやり続けるということに関しては、たぶん昔から素質としてあったのかな。そこが農業にも向いていた。で、やってるうちに勝手に技術が身について、勝手に慣れてきて…そういうことだから、そこに瞬発力はあまり関係がないかもしれない。
大島さんは今、田村さんがつくった野菜を購入していたり、間接的に田村さんの活動や農業に少し触れる機会もあると思うんですが、実際に田村さんがここまで熱中されている農業や農家に対してどんなふうに感じていらっしゃるんですか?
一言でいうと「リスペクト」ですよね。そういう思い。その一方で、なぜ、そういう仕事がなかなか報われていかないのか? ということに対する疑問もあります。今や人類規模で向き合う問題といったら「気候変動」の問題にならざるを得ないし、ますます農業の重要性が高まっている。これはもう間違いがないもので、農業・農家はある種のエッセンシャルワーカーじゃないですか。逆にここ数年、欧米を中心に「ブルシット・ジョブ」という概念が出てきていて、「クソどうでもいい仕事」という言葉なんですが、そういう仕事に限って高給を取るという、この社会の仕組みの問題っていったい何なんだと。つまりお金を右から左へ動かしてお金を取ったりとか、本人もそれが社会的にはどうでもいいと思っている仕事なのに、なぜか存在していてお金を得ている、それをブルシット・ジョブというんだけど、その真逆にあると思うんです、農業って。だからこそうまくいってほしいし、友人としても、社会のためにも、うまくいってほしいなと非常に強く思っています。
田村さんはそんな中で今、かん太村で新しい取り組みも始められているということですが。
そうですね、「農業の良さ」みたいなことや、農業にみんなが携わっていける方法はないのかと考えていた時に、「CSA」という仕組みを見つけました。たまたま知り合いに詳しい方がいたので勉強会に参加させてもらったんですが、要は、地域支援型農業(コミュニティ・サポーテッド・アグリカルチャー)、農業をコミュニティでサポートしましょうという仕組みなんです。野菜を買うだけではなくて、何かしら農業に携わろうねと。
農業って、どうしても翌月の収入がいくらになるか分からないわけです。会社勤めの人なら毎月の給料がいくらで、そこから光熱費や家賃をいくら払って…とだいたい計算できるけど、僕らはそれができにくいんですよ。しかも台風などが来ると、育てていた作物が一気にダメになって、収入がほとんどなくなっちゃうこともある。次の日にすぐ種を蒔いても、すぐ野菜になるわけじゃなくて、そこから数ヶ月待たないといけない。そんな農家のリスクの部分も関わるみんなで共有して、「農業ってこういうものなんだよね」とみんなで意識し合い、支え合うような仕組みがCSAです。買ってくれた人と、農業を通じてコミュニケーションを取っていく一つの仕組みです。それをかん太村でもやっていこうと。
大島さんも、農業や食について「時代に合っている」とおっしゃっていましたが、このCSAは、地域で食を循環させるという意味では、時代に合っているのかなと思います。
すごく良いですよね。やはり買う側が意識するということが大事で、それが良い試みなんだと思います。ただ買ったり、食べているだけじゃなくて、地域で農業のことを少しでも考えようというきっかけになるじゃないですか。それがこれから本当に求められていく地域共同体の在り方ではないかという気がしています。
実際にCSAをやってみて、田村さんは手応えを感じていらっしゃいますか?
すごくあります。やはり僕は表現するのが好きなので、新しい表現、チャレンジになるなという手応えがあります。
このCSAは、どうやったら参加できるんですか?
作付計画を考えて、タイミングを見て参加者を募集しようかなと思っています。
インスタグラムも始めているそうなので、かん太村を検索していただいてフォローしていただくと、そういう情報も見ることができますね。
https://www.instagram.com/kamakuraleaf.kantamura/
「楽しみ」であり、「表現活動」である
ではトークも終盤なのですが、お二人にとって「仕事」とは? これを一言いただければ。
難しいですね。今となっては「人生」になってしまいますよね、「仕事」がほぼイコール「人生」。なおかつ「楽しみ」でもある。「遊び」と言い換えるのは少し難しいかもしれませんが、自分にとってのやりがいや楽しみ、生き甲斐、そういう存在かなと思っています。
僕はさっきも言ったように、これを「仕事」だと思ったことがないから。人生、生きていたらそのほとんどを仕事に費やすわけで、僕の「表現活動」ですよ。それ以上でも以下でもない。「せっかく生きているんだから何か表現したいな」というそれが「仕事」かな。だから何でもいいんですよ、表現する媒体は。
& Column
讃え合える存在
若き日に共に夢を語り合い、一時は力を合わせて同じものに打ち込んだこともある大島さんと田村さん。「間接表現」と「直接表現」という、表現手法の違いから別の道を歩むこととなりましたが、人生を何周かする間にその道がまた思いがけない形で交わることもあります。そんな時、それぞれが歩んできた道のりと今立っている場所を、お互いに眺め讃え合える「友」が、あなたにはいるでしょうか? 全く違う仕事や人生に取り組んでいたとしても、価値観も哲学も自分とは異なっていたとしても、その人を丸ごとを認め、良いも悪いもなく「あいつらしい」を分かってくれる友の存在は、人生の大きな宝であり、強力なセーフティネットの一つだと思います。目先の職場や会社、仕事における人間関係だけに視野を狭めず、本来はもっと多面的で奥行きのある自分自身に立ち戻って顔を上げた時、別の山を懸命に登っている「真の友」の姿が雲海の向こうに見えてくるかもしれません。「天職」に出会うのと同じくらい、真の友との出会いは価値あるものではないでしょうか。(森田マイコ)
今回のゲスト
大島新(おおしまあらた)さん
1969年神奈川県藤沢市生まれ。1995年早稲田大学第一文学部卒業後、フジテレビ入社。「NONFIX」「ザ・ノンフィクション」などドキュメンタリー番組のディレクターを務める。1999年フジテレビを退社、以後フリーに。MBS「情熱大陸」、NHK「課外授業ようこそ先輩」「わたしが子どもだったころ」などを演出。2007年、ドキュメンタリー映画『シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録』を監督。同作は第17回日本映画批評家大賞ドキュメンタリー作品賞を受賞した。2009年、映像製作会社ネツゲンを設立。2016年、映画『園子温という生きもの』を監督。プロデュース作品に『カレーライスを一から作る』(2016)『ぼけますから、よろしくお願いします。』(2018)など。文春オンラインにドキュメンタリー評を定期的に寄稿している。
『なぜ君は総理大臣になれないのか』公式サイト▶ http://www.nazekimi.com/
田村慎平(たむらしんぺい)さん
鎌倉市在住。高校卒業後、報道カメラマン、ドキュメンタリー番組制作を経て新宿ゴールデン街に「bar Evi」をオープン。 2005年頃から茅ヶ崎で農業に携わり始め、2016年に鎌倉市にて農地所有適格法人(旧:農業生産法人) 株式会社 鎌倉リーフを設立。仲間と農地を開墾して少しずつ拡大し、現在約1ヘクタールほどの農地で鎌倉野菜を中心に生産を行い、直売所「鎌倉野菜市場 かん太村」にて販売している。小町通りで飲食店「ドッキリカレー かん太くん」を営業。
鎌倉野菜の驚きと感動を届ける「鎌倉リーフ」 ▶ https://www.kamakuraleaf.com/
Instagram▶ https://www.instagram.com/kamakuraleaf.kantamura/