仕事は選ばない。与えられた事をひたむきに。

鎌倉市の北西にある関谷は鎌倉野菜の生産地として知られています。鶴岡八幡宮や小町通りなどの鎌倉駅前の観光地とは一線を画す、緑豊かな静かな住宅街が広がっているこの関谷の一角に会社を構えるのが、株式会社鎌倉リーフです。鎌倉リーフは農家として畑を耕しながら、福祉事業所と連携した直売所「かん太村」の運営や鎌倉野菜を使った飲食店経営など、農業の可能性を様々な分野に広めていく活動を続けています。そんな同社を牽引するのが代表の田村慎平さん。新宿ゴールデン街のbarを経営していた経験があるという田村さんは、どのような経緯で関谷にたどり着き、農業を始められたのでしょうか。キャリアについて、農業への思い、今後のビジョンなどを伺いました。

河野

キャリアのスタートは報道カメラマンと聞きました。

田村さん

昔、左翼学生みたいなところがあったんです。天安門事件で同年代の学生が戦っていた中継を見て感化されたり、紛争とかの記事を貪りついていた時代があって、現地に行ってみたいという衝動に駆られていました。
サルガドの写真にも影響されていたこともあり、学生ローンで一眼レフカメラを買って練習と称して色々撮っている時に、たまたま報道カメラマンとしてかなり有名な方に出会ったんです。
「ふらふらしてるならウチに来いよ」と声がかかって、弟子入りする事になりました。

河野

報道カメラマンになれば、紛争地にもいける、と。

田村さん

はい。ただ、弟子入りしたのにカメラのこと何も教えてくれなくて、「外人は強いから鍛えとけ」と、ひたすらボクシングの練習をさせられていましたね(笑)。
カメラも、「一眼レフ?そんなもん意味ないよ。一番いいのは写ルンですだ。パシッととって逃げられるモノじゃないと。」とか言われて、もう、めちゃくちゃでした。
そうこうしながらも紛争地に行ったんですけど、渡航費や何やらで100万円使っても、撮影した写真を週間プレイボーイに出して30万円くらいにしかならないから、帰国後に佐川急便で働いて残りの借金を返して、またお金貯めて海外に行く、みたいな生活を続けていました。

河野

いくつのころですか? 

田村さん

22歳くらいかな。当時はそんなことをずっとやってました。

河野

周りから就職しろとか言われなかったんですか?両親とか。

田村さん

言われなかったですね。親も諦めてました(笑)
でも実際それが本当にやりたかったのかって考えると、突き詰めると、本当はなんでもよかったんですよ。
視点が狭いだけで。言葉でいうと報道カメラマンって格好いいけど、ミーハーでアイドル目指したというのとなんら本質的には変わらない。
だからそのあとに、本気でやりたかったなら続けていると思うんですよ。
でも、俺は流されてる人生だから。

河野

そこからゴールデン街に?

田村さん

食えないな~と思っていたら歌舞伎町のカラオケボックスで店長やらない?と誘われて。それをやれば少しはお金が回るかなと思ったんです。
そしたら歌舞伎町ですから、友達がいっぱいできて、キャバクラ嬢とか風俗嬢とかヤクザとかみんな面白い人ばかりがで。
毎日24時間、遊び尽くしてもう夢のような生活で、報道カメラマンよりそっちの方が面白くなっちゃって。カメラやってる場合じゃねえって。(笑)
雀荘行けば仲間もいるし、今日メンツ足りないからきてくれないか?と言われて行く句。そんな生活を続けていたら知り合いから「ゴールデン街で店やれば?向いてるよ」なんて言われて。
そしたらたまたま高校の先輩が「空いてる物件知ってるから紹介してあげるよ」と言ってくれて、その3日後くらいには店を出してました(笑)
ラジカセ1個置いて、看板もなく始めたら、これが儲かっちゃったんですよ。そこから人生がおかしくなっちゃったんです(笑)

河野

開業資金はどうしたんですか?

田村さん

友達にすぐに借りました。
「ところで何するの?え、店?ゴールデン街?やばくない?」みたいなノリで。(笑)
ゴールデン街ってご存知ですか?新宿歌舞伎町の非常に狭いエリアの中にある商店街なんですけど、一般の人に混じって映画監督や、政治家、俳優といった方も集まり、それぞれが語り合い、文化的なことを発祥していたんです。
なので街のしきたりやイメージも固まっていて面倒臭い親父ばっかりいる街で。
そんな中で僕は確信犯的にモーニング娘流してましたね(笑)
シケた感じよりも、明るい方がいいんじゃないかと思って。「酒屋は人生語る場なんだから楽しく飲んだ方がいいだろう」と思ってサザンとかモーニング娘とか爆音でかけて、「日本の未来は、夜はこれからだ!!」とか叫んで(笑)
そしたらすごい繁盛しちゃって。

河野

爆笑

田村さん

めんどくさい親父も楽しいんでしょうね。ときには語ったり、政治の話したり。
ジャーナリストの人がきて僕も意見交換したり、著名な方が沢山来てくださって、小僧ながら。

河野

そんな夜の街からどうして農家に?

田村さん

店のスタッフが稲村ヶ崎で店を始めたときに、そこで使う野菜を自分で育てるんだと言い出して、茅ヶ崎の畑を借りたんです。
それで借りたはいいものの最初の1−2回やったらいかなくなっちゃって。
借りた手前、管理しなきゃいけないから、じゃあ誰が管理するのって言ったら俺しかいなくて。(笑)
しょうがないから畑作業やり始めたら野菜育てるのって意外と面白いなと思い始めたんです。
また、農業は地域の伝統文化を守っていたり、教育に結びついたりもしている事に気がついて。
よく考えてみたら日本人なんてつい最近までみんな農家だった訳で。
震災があった時も日本人は略奪強盗少なく、みんな礼儀正しくて協力的だったじゃないですか。
あれって、日本人が農業をやっていく中で「結(ゆい)」という助け合いの精神があったりとか、もしくは助け合わなければ生きていけなかった遺伝子が溶け込んでいるのかなと思うんですよね。
そう考えていくと農業はすごい産業なんじゃないかと思って。
それを表現する市場を作ったらいいんじゃないかって話してできたのがこの「かん太村」なんです。

河野

実際に始めてみていかがでしたか?

田村さん

想像を超える大変さでした。
僕は農家の家系じゃなかったので農業を始めるのはハードルが高かったですね。
5年くらい無償で鎌倉の農家さんの元で農作業を手伝っていく中で信頼関係を築き、ようやく様々なご縁の中から始めることができましたけど、農業者の人って気質が違うんです。
畑で「おはようございます」とかでかい声でいうんだけど、それが気にくわない人も多い。
一般的な社会のルール、と農業者のルールは違う。
農業っていうのは野菜作ることが生業なんだけど、農家って野菜を作るんじゃなく、家を守り続けることが至上命題。
極端な話、農業じゃなくてもいいんです。
田村家というものをずっと受け継いで行くということがとても大切なこと。
農業をビジネスとして発展させるというのではなく、家を守るということ。
かん太村みたいに「農業を通じて地域をよくしてこうという」って言うとみんな去って行く。
波風立ててはいけないんです。
そう言う意味で農業って難しい産業なんだなってつくづく思います。
農家じゃない人間が入ってきて色々なことをするというのは何百年続いている人からしてみれば異質で、よく思われない事も多いです。

河野

仕事としてはどうですか?

田村さん

朝も早いし、休みも少ない。
いくら鎌倉ブランド野菜と言ったって生活ができるレベルまで持っていくのは非常に大変な事なんですよね。
今までたくさんのスタッフを雇いましたけど、壁を乗り越えられなかった。
みんな同じような理由でやめちゃいましたね。
やめたあと遊びにくるんですけど、遊びにくるくらいなら作業服きてこいみたいな(笑) 
人間関係が悪くなってやめるんじゃなくて、結婚するんでやめますとか、経済的、時間的な理由が多い。
労働基準法内での勤務なんて無理で家族経営ならいいけどそれを法人でやっていく難しさを痛感しています。
最初はみんな喜んで、「わー気持ちいー」って言うんですけど、3ヶ月くらいでだんだんいやな顔になってきて、寒い中水に手を突っ込んでカブを洗ったりしていると「俺一生これやるの?」「そうだよ」「やめていいですか?」ってなる。

河野

田村さんはそういう過酷な状況の中でどうして続けられているのでしょうか?

田村さん

仕事だと思ってないからかな。
風呂にも入らずに20時間くらい働く事もあります。
でも過労死することもないし、いたって健康。
やっぱりそれは仕事というものを仕事として考えていないからで。
登山家みたいな感じなのかな。
借金抱えて山登っても富と名声を得る人ばかりではないじゃないですか。
その風景見たいだけで。何時間もかけて苦しみながら、周りから見たらばかじゃないのって。
仕事って、苦しければ苦しいほど面白くなってくるんですよね。
過労死って言われますけど、能動的か受動的か、ポジティブに考えるか考えないかだけであって。
僕なりの農業に到達するまでの修行かなと捉えている。
仕事ってそういうモチベーションでいると全然嫌じゃない。
もちろん、労働法って考え方はとても大切で僕みたいな考え方はベストじゃないとはわかっているけど、ほとんどの時間は労働に費やすわけで、切って物事を考えてもつまらなくなっちゃうし、自分を高めていくことでいろいろな景色が見えてくる。
そういう風に考えると仕事ってどんな仕事も面白い。ああ、仕事っていう言葉がよくないのかもね。無理してやってる感じがしちゃう。ポップな言葉に変えちゃえばいいのに。俺の場合は「修行」だな(笑)

河野

全然ポップじゃないです(笑)

田村さん

「それを達成した暁にはお釈迦様になれますよ」みたいな(笑)

河野

面白い、は大切ですね。

田村さん

何が面白いかをわかってる人だったらどんなに辛い事も耐えられるんです。
美味しいもの食べたり、旅行に行くなんて面白くもなんともないんです。
農業は種を蒔いて芽が出てくるだけで嬉しい。
売上とかじゃなくて、「オクラの芽が出て来ちゃったよ!やったよ!」なんていう喜びがあったりする。
あと、本当に面白いことは、公(おおやけ)にあると思ってる。

河野

田村さんにとっての公とは何ですか?

田村さん

農業を通じて誰かの役に立つ事だよね。
喜んでくれることって嬉しいじゃないですか。
例えば今、福祉施設と連携しているんだけど、知的障害の子たちに農作業やらせたりBBQしたりしながら思いっきり楽しんでもらったりね。
彼らもそうだけど親御さんも笑顔でいてもらいたいというか。
安心させてあげたいよね。
そういう事すると逆に俺が救われるんだよね。
BBQ終わった後帰りにコンビニ寄ってビール買って、飲みながら友達に電話して「ほんとよかったよー」って(笑)
そう言う農業の可能性を追求していきたいと思ってる。

河野

就職や転職を考えている人にアドバイスいただけますか?

田村さん

やりたいことじゃなくて携わったことに夢中になっていくことじゃないかな。
俺の場合、ゴールデン街も元々やる気があったわけじゃなかった。
おもしろそうだとは思ったけど、やっぱりカメラやりたいな~とか。
そういう中でやってみたら面白さがわかってきて、自分なりにどうやって繁盛店にしようか、周りと協力しようかと考えたりしながら試行錯誤して。
ノンフィクションの番組制作や海の家の経営もそう。
関わったものに対して一生懸命やるのが仕事だし、仕事なんて選ぶことじゃない。
なんだって面白いじゃん。
突き詰めていけば。野球選手になりたいんだって言って本当に野球選手になれればいいけど、でもなかなか普通の人ってそういうわけにはいかなくて。
関わったことだけ一生懸命やってるとそれが仕事になる。
結論をいえば、なんだって一緒だったな。
 
俺、野望があって農業はいつかやめてやろうと思ってるんですけど、最終的にはゴミ収集車の親父になると女房に言っています。(笑)
うちにくるゴミ屋のおじさんは、なんかうだつの上がらない表情をしていて。
でもとても大切な仕事じゃないですか。
なんかもっとロックにごみ収集できないのかなって思うんです。
みんな「え、ゴミ収集車?女にモテないじゃん」って言うけど、違うんだと。
あれだけ地べたに近いところで必要とされてるのに、考え方次第ではめちゃくちゃ面白いなと思うんです。
ゴミ収集車革命とかね。

今回のゲスト

田村慎平(たむらしんぺい)さん 

高校卒業後、報道カメラマン、 ドキュメンタリー制作を経て新宿ゴールデン街に「bar Evi」をオープン。最年少マスターとして注目を浴びただけでなく形にとらわれない斬新な経営がヒットし、政治家、芸能人、作家、デザイナーなど様々な領域のファンを掴む事に成功する。その後、海の家経営や稲村ガ崎の人気店レストラン「海菜寺」をオープンさせるなど多岐にわたり活動する中で、農業の可能性に出会い、地元鎌倉で農家になることを決意。株式会社鎌倉リーフを設立し、農作物の栽培だけでなく、直売所「かん太村」の経営、鎌倉野菜を使ったカレー屋「ドッキリカレー かん太くん」の立ち上げ等に関わり、事業を通じて農業の可能性を広めている。 
 
>>鎌倉野菜の驚きと感動を届ける「鎌倉リーフ」 
https://www.kamakuraleaf.com/

ナビゲーター

(左)小室 慶介/(中央)こまつあかり/(右)河野 竜二

こまつあかり
岩手県出身、鎌倉在住。
ナローキャスター/ローカルコーディネーター
地域のなかにあるあらゆる声を必要な人に伝え、多様なチカラを重ね合わせながら、居心地の良い「ことづくり」をしている。
Instagram @komatsu.akari
@kamakura_coworking_house @fukasawa.ichibi @moshikama.fm828 @shigototen
湘南WorK.の冠番組である鎌倉FM「湘南LIFE&WORK」のパーソナリティを務め「湘南での豊かな暮らしと働き方」をテーマに発信。多様性を大切にした働き方、それが当たり前の社会になること。その実現へ向けて共創中。

小室 慶介(こむろ けいすけ) 
湘南鵠沼育ち、現在は辻堂在住(辻堂海浜公園の近く)。
長く東京へ通勤するスタイルでサラリーマンを経験。大手スポーツ関連サービス企業にて、事業戦略を中心に異業種とのアライアンススキーム構築を重ねるものの「通勤電車って時間の無駄だよな」という想いがある日爆発し、35歳で独立。幼い頃から「自分のスタイルを持った湘南の大人たち」に触れて育った影響か、自分自身で人生をグリップするしなやかな生き方・働き方を模索し始め「湘南WorK.」を立ち上げる。相談者が大切にしていることを引き出しながら、妥協のないお仕事探しに伴走するキャリアコンサルタント。

河野 竜二(こうの りゅうじ) 
神奈川県出身、湘南在住。
教育業界10年間のキャリアで約2,000人の就職支援に関わり、独立。キャリアコンサルタントとして活動する。それと同時に、”大人のヨリミチ提案”がコンセプトの企画団体「LIFE DESIGN VILLAGE」のプロデュースや、日本最大級の環境イベント「アースデイ東京」の事務局など多岐にわたって活動する。湘南が誇るパラレルワーカー。